プロフィール Profile
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平成17年(2005年)3月
駒澤高校 卒業
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平成20年(2009年)3月
駒澤大学経済学部経済学科 卒業
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平成21年(2009年)9月
アメリカ合衆国オハイオ州 語学留学
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平成23年(2011年)6月
(公社)シャンティ国際ボランティア会気仙沼事務所
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平成26年(2014年)4月
(合同)蔵内ノ芽組を起業し、サポート(ワカメ、ホタテ、ホヤの養殖)
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平成29年(2017年)11月
出版社 営業部
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令和3年(2021年)
映画二宮金次郎上映委員会 事務局長
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令和3年(2021年)9月
出版社 役員
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令和6年(2024年)1月
(公社)東京青年会議所世田谷区委員会 入会 会計広報幹事、新JCビル建設準備委員会
委員等歴任
現在に至る
1986年4月7日生まれ(満39歳)
出身・本籍:東京都(世田谷区)
家族構成:妻、娘3人
趣味:映画鑑賞、ジョギング
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座右の銘:一燈照隅※
※「最初は一隅を照らす小さな光であっても、その光が十に、百に、千にと広がれば、やがて国全体を明るく照らすことになる」という意味。それぞれの人が、自分の立場や役割の中で全力を尽くすことこそが、組織や社会全体にとって最も価値のあることだという教えです。この言葉は、一人ひとりの努力が積み重なることで、大きな力となり、社会や組織への貢献につながることの大切さを伝えています。
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誕生~小中学生時代
「挑戦」への芽生え。祖父の笑顔とカール・ルイスへの憧れ。
私は東京都世田谷区で、5人兄弟の3番目として生まれました。私たちは、祖父母や従兄弟姉妹に囲まれ、にぎやかで温かい家庭環境の中で育ちました。特に祖父とは多くの時間をともにし、彼が営む指圧の診療所に毎日のように通っては、靴をそろえたり診察室を整えたりと、“小僧”のようなことをしていました。ある日、診療が早く終わり、祖父が得意の書を書き終えたあと、私を膝に乗せて「お前は将来どうなりたい?」と問いかけました。緊張で心臓の脈打つ音が聞こえる中、「挑戦」と答えると、祖父はニカッと笑ってくれました。それ以来、何事にも挑戦することを大切にしています。地元の御神輿にも親戚とともに楽しく参加し、地域とのつながりも自然と深まりました。1992年のバルセロナ五輪で活躍したカール・ルイスに憧れ、小学5年で初挑戦した連合体育会の走り高跳びで優勝した経験は、自分の中にある「挑戦する力」の存在を実感する出来事となりました。
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高校~大学生時代
「過程」と向き合う重要性を学び、社会に触れて「責任」を知る。
中学・高校時代は陸上部に所属し、高校では主将を務めました。全国大会優勝を目指して本気で取り組んだ3年間は、仲間と切磋琢磨しながら、自分の限界に挑み続けた日々でした。苦しいことも多くありましたが、それ以上に学びと成長の大きな時間だったと感じています。
中でも、指導者との出会いは自分にとって大きな転機でした。結果だけでなく、その過程にどう向き合うか、人としてどうあるべきかを教えてくださったその方は、今でも私にとって恩師です。あの経験は、今も自分の行動や考え方の支えとなっている、大切な糧です。
大学時代は競技からは一歩距離を置きましたが、高校までの経験を活かし、学業に取り組む一方で、働くことを通じて社会を知る機会も大切にしました。さまざまなアルバイトを経験する中で、社会の一員としての責任や、人との関わり方について多くを学ぶことができました。この実務的な経験は、社会人としての基礎を築く貴重な学びとなりました。 -
大学卒業後〜現在
留学先で痛感した民主主義。被災地の現場が、政治家への決意の原点。
大学卒業後は、アルバイトで貯めた資金を元手にアメリカへ留学しました。
そこには、当たり前のように自国を誇りに思い、国のことを自分事として捉えている社会がありました。政治についても、大人だけでなく子どもたちも自然と会話しているのです。
国や社会に関心を持ち意見を交わすことは、民主主義の根幹だと実感し、日本にもその意識が広がるべきだと痛感。さまざまな国の友人と交流を重ね、多様な価値観・文化を尊重し、対話を重ねる大切さを学びました。
2011年の東日本大震災では気仙沼でのボランティア活動に身を投じました。日々続く余震、不安の中で暮らす人々との対話…。全国や海外から集まった人々とともに活動する中、「一人ひとりの思いが社会を動かす力になる」と実感し、地域課題に本気で向き合うため、自ら政治の現場に立つ決意を固めました。
さらに2018年には報徳思想を描いた映画『二宮金次郎』の製作に携わり、2019年より全国で自主上映を展開、2025年現在で約8万5千人が鑑賞しています。